通信44【予感】
■ 心体不振 ■
どうも今年は何をやるにも気が乗らぬ、胸が、血が騒がぬ。ただ、流されるままに毎日が過ぎて行くという感じである。年齢のせいだろうか? 先月は夏風邪で1カ月体調を崩していた。なんといったらいいのか・・・内に燃えてくるものがない。
■ 狂 言 ■
そうこうするうちに、年に一度の、狂言の発表会の日が近づいてきた。
8月 4日(日)、岡崎の観世会館で、今回は「雁礫」(がんつぶて)を演ずる。
共演は、若乱那とダンサー。で、研磨石は初めてシテを演じる。
お暇な方は見に来て頂戴! 研磨石の出番は、お昼前後です。
◎10周年記念[七三の会] 岡崎仁王門東 京都観世会館
※主 催 茂山七五三・千三郎 社中 ※開催日 8月 4日(日)午前10時より
■ 訪販道中膝栗毛 紀州にて ■
木ノ国の 夜明けを告げる 蝉の声 研磨石磊翁
※お口直しに、 やかて死ぬ けしきは見へす せみの声 芭蕉翁
閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲 芭蕉翁
昨夜も温泉に浸かり、ぐっすり寝ようと破れたカーテンをガムテープで留め、朝日の侵入を防御、目覚ましもかけなかったのに、蝉の声に起こされてしまった。
先週に引き続き、同じ和歌山の有田郡金屋町の呉服屋さんに世話になっている。
昨年も泊めていただいた、有田川温泉で今回は4泊。暇な展示会のお陰で、会場でゆっくり本も読めるし、毎晩の温泉三昧は、今年前半の心体不良を癒してくれる。
温泉の売店で、昨年購入した5足 400円の靴下と軍足を、またまた購入。
【金山寺味噌】(有田郡湯浅町)
この旅のお土産は、鎌倉時代から変わらない加工法で、寒い季節に夏野菜を食べられる
“金山寺味噌”は禅寺の知恵から生まれた保存食。
径山寺味噌が伝わったのは鎌倉時代の建長年間。和歌山県由良町、興国寺の禅僧、法燈国師が宋の径山寺で習い覚えた製法を持ち帰ったのが始まり。
蒸した大豆、麦、米に、種麹を付け、寝かせて3日2晩。そこへ、ウリやナス、ショウガ、
シソの葉を混ぜて樽に仕込む。お茶漬けやお粥に添えるのが古来よりの食し方。
この樽にたまる汁が、たまり汁、醤油の原形になったといわれている。
「紀州あじわい探訪」(高木プリント発行)より
■ 日めくりカレンダーと予感 ■
「出版」は“黄門様の印籠”だと通信42号で書いたばかりだが、今月、PHP研究所から「さる方3」(書・解説)の、「 日々の禅語 」(日めくりカレンダー)が、出版の運びとなりました。
(企業向けで、一般の書店で販売されないのが残念だが・・・)
これには及ばずながら研磨石もお手伝いをさせてもらった。
「松下幸之助、本田宗一郎に続く第3弾を猊下にお願いしたく・・・」と、同道の編集者の言葉にトントン拍子に話は進み、わずか半年足らずで、ことは成就した。
小学館が、PHP研究所が、NHK出版が、若輩、弊社の販促を後押してくれる時代なのである。
事は、「思うた」だけで(気分は乗らぬのに)次々と実現して行くものである。
研磨石が、ひとたび「思うた」だけで、実力のある才人達(したがり達ともいう)が、事を実現してくださる。
研磨石などはいつも「思った」り「ささやいた」りするだけである。
普通の人の場合、「思え」ば、それは願望となり、望めば、我欲となって目が眩む。
研磨石がひとたび「思え」ば、「予言」とまでは行かないが、それは「予感」に近いものとなる。
研磨石は発想、発案するだけ、思いつきを言うだけで良いのである。
血と汗が、にじむような余計な努力は要らぬこと。
そうそれは、時代が欲していれば実現するであろうし、そうでなければ、ならぬだけのこと。手前でリスクを張ってまで、やる必要はないのである。
要は「他人の褌で相撲を取る」ということか。
我が身の力の無さを棚に上げて、こんなことばかり言ってるから、人は私のことを
ノー天気 極楽トンボ 呆けもん・・・のマヌケの健一(研磨石)と呼ぶ。
2002/ 7/29 我がコバンザメ人生もいよいよ板についてきた、紀ノ国にて研磨石