昇 天

西暦2050年、のっけから私の昇天にお立会い戴きご愁傷さまです。
実はここ43年後の未来です。現実世界は下のページから。

2050年/12/ 8、この日、研磨石 96歳の天寿をまっとうする。
        お暇な方は通信12を ごろうじろ。
       http://d.hatena.ne.jp/vajr/20000803
96歳は、少し厚かましい気もするが、どうやら未来にも来れたようだ。

時空を越えたということか
生まれた日(過去)にも飛べたので、
ためしに、今から182年前の良寛和尚に会いに行ってみた。
文政九年(1826)良寛六十九歳、貞心尼二十九歳、2人がちょうど出会ったあたりです。
なら、白隠、仙?、一休、道元空海聖徳太子にも。
なら、ならば 釈迦(紀元前)にも会いに行けるのか? みなさん知りたくないですか?

《上の記事は、2007-11-07に書いたものです》

句 集【苦 衷】より
ー 夜 坐 雨安居 六月の接心 ー
座禅堂 今宵のホタル 人を狩り    研磨石   1995H07/06
   そう、ヒトが狩るからホタル狩り。だがしかしホタルがヒトを狩りますと、

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vajr通信83【木の芽と蕗】

vajr通信83【木の芽と蕗】
 
樹木が芽吹く頃、“木の芽を優しく洗うように降る長雨”のことを「木の芽流し」と言い、
初夏の季語だそうです。
 
2月のフキノトウに続いて、
4月は、木の芽(山椒の新芽)とフキを配っています。
今日は京都の、お寺や お世話になってる人の所を回りました。
 
清水さんは、ご夫婦で玄関まで迎えてくださいました。
相国寺さんも、久しぶりに元気なお顔を見せてくださり、お声を掛けて頂きました。
 
貫主昭和15年生まれ82歳。
有馬管長、昭和08年生まれ90歳。
 
天下の清水寺相国寺(金閣寺の本山)の現役の貫主管長さんが、
研磨石の下手くそなダルマ絵に、【賛】を揮毫してくださるなんて、夢のような話なんです。
 
30年、山の恵みを届け続けるとこんな幸運もあるということ。
本日は11軒回ることができました。
皆さん楽しみに待っててくださいます。
 
2022R04 04 28(木) 研磨石
追伸
明日、研磨石にとって「善哉」なことがある予定です。ご報告できると良いのですが。
※「善哉」の読みは、“よきかな” “ぜんざい” です。
仏教用語でもあるそうです。
 

孟宗筍

木の芽

フキ

フキと木の芽

vajr通信78 再起

【vajr通信 78 再起】

脳梗塞の後遺症、
言語障害(音声 発話障害)もあり長いこと、
墨蹟(掛け軸)の販売から遠ざかっていたが、
懐かしい3人から相次いで連絡を頂いた。

①【6年ぶり】

10/22(金)、

○○呉服店(千葉県)の奥さんから電話あり。
現在、安土城考古博物館
https://azuchi-museum.or.jp
に寄託してある、
【信長の陣羽織と革袴】

(安土城跡にある臨済宗妙心寺派の摠見寺に伝わる
信長が着用したと云われる、衣装。)

は、社長にスポンサーになってもらい、

2人で復元した思い出の作品。レプリカ。

その時実は、2着ずつ作っていて、
○○呉服店がもう1着を所蔵されているが、
社長が亡くなって6年、
七回忌を機に廃業してマンションを建てるので、
置く場所が無くなるのでどうしよう、とのご相談。

そこで研磨石からのご提案。

1着は両社の名前で博物館に寄託して、

もう1着は信長祭りで着用してもらう。

そうなれば、○○呉服店の名前も残るし、

社長も喜んで下さると思います。

 

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②【5年ぶり】
10/11(月)にも、
香川県の○○呉服店の奥さんから、
5年ぶりに電話があり、
蓮の花の画賛【六字名号】を清水寺の 森 清範 貫主
書いてもらいたい、との電話があったり、

③【40年ぶり】
先月09/16(木)には、
東日本大震災「3.11」(さんてんいちいち)後、
被災地気仙沼で、独立開業された、
○○呉服店から、突然のラインが来て、
やり取りするうちに、研磨石のダルマ絵を販売してやると言う話に!。

気仙沼は、研磨石が青春時代を
 次弟 真二と3年間過ごした思い出の地。

病後、しばらく筆を置いていたのと、新しい作品作りに挑戦もしたかったので、
ダルマ絵の販売は3年間待ってほしいと伝えた。
実現すれば43年ぶりの再会になる。

ダルマ絵作家、研磨石として
再起したい思いが少しずつ湧いて来た。

しかし、以前のように高額の掛け軸は
もう売れないと思うので、
壁掛け、玄関掛けの額装や、タペストリー、
Tシャツなどを中心にして、
売価(小売上代)も安く設定し、
売り方も考え直してみよう。
ネット販売にも挑戦してみるか。

なんか久しぶりにワクワクしてきた。

2021R03 11 04(木) 研磨石
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My Family History 2

今から92年前、1926(大正15)年01月01日(金)晴れ
武寛さんは、息子と孫(4歳の父)を伴って永源寺僧堂に年頭の挨拶に。
その時、七言絶句 龍吟虎嘯の揮毫を戴いた、ものと思われる。
さて、
上田家の絶頂期6代目武寛翁から
My ファミリーヒストリーの始まり、はじまりぃー!!


曽祖父06代源左衛門、武寛とはま (興源寺 過去帳より)
 武寛  1861文久01辛酉〜1941昭和16年辛巳09月18日 80才没 覺仙院大道宗悟居士
 はま  1864元治01甲子〜1945昭和20年乙酉10月05日 81才没 靈光院照室景善大姉


My Family History 3に続く
http://d.hatena.ne.jp/vajr/20130804



下の写真 2013(平成25)年03月、旧墓地移転の前に撮影。

下の写真 1920(大正09)年11月 6代目武寛 59才 ハマ56才 四国八十八ヶ所巡礼。

下の写真 1924(大正13)年04月 支那漫遊記念。


下の写真 遺影

下の写真 06代妻ハマ、07代妻ソデ嫁入り、座敷にて。

火祭り 龍吟虎嘯の衝立

平成29(2017)年度 永源寺高野町 東組 火祭り
永源寺高野村、東組は現在の戸数は30軒。
火祭りはお祭りではなく、自治会(東、西、上高野、下高野)の支部総会みたいなもの。
年に一度、30軒だから、30年に1回各家の回り持ち。
今年は、我が家である。

ところが研磨石、仕事のため妻と次女、嫁に行った長女と孫2人に行ってもらった。

留守の主人に代わり、掛軸と衝立の墨蹟を用意してお客さんを迎えた。
床の間には研磨石のダルマの掛軸を掛けた。

衝立の方は、
臨済宗永源寺派10代管長141世 高木独鳳(1921大正10年ー1955昭和30年)老師の揮毫。

衝立の読み方が分からなくて、
村の長老に画像をメール添付して尋ねたら、一昨日 読み下し文が長老の知人から届いた。
(衝立画像の下に添付)
大正十五丙寅歳旦の偈とあるので、
1926年の元旦に 当時65歳 当家6代目 武寛がこのご揮毫を頂いたであろうことが推測された。
武寛さんは研磨石の曽祖父にあたる。
当家6代目のことが少々気になって参りました。
この続きは、1926大正15年01月01日(金)の vajr通信、拙ブログを御覧じろ。(まだ書けてません)

2018H30 03 06(火)研磨石


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七言絶句 龍吟虎嘯の衝立

◎原文
虎嘯祥風八極生
龍吟瑞気四維盈
年頭佛法豈寄擬
心地禅河湛水清
 大正十五丙寅歳旦之偈 どく[蜀へんに犬]鳳

○読み下し
虎嘯(とらうそぶ)けば祥風八極(しょうふうはっきょく)に生(しょう)じ
龍吟(りゅうぎん)ずれば瑞気四維(ずいきしい)に盈(み)ちる
年頭仏法豈(ねんとうぶっぽうあ)に擬(ぎ)を寄(よ)せんや
心地禅河水(しんちぜんがみず)を湛えて清し
 大正十五(たいしょうじゅうご)丙寅(ひのえとら)歳旦(さいたん)の偈(げ) どく鳳

●訳
虎が吠えれば、めでたい風が世界中八方に吹きわたり
龍が唸れば、めでたい雲が四方隅々まで満ちみちる
年の初めに、仏法におしはかるようなことがどうしてあるだろうか。
心も河も水を湛えて清い。
 大正十五年丙寅の年 元旦に詠んだ詩 どく鳳


*龍吟虎嘯(りょうぎんこしょう)
  龍が鳴き、虎が吠える。龍が鳴けば雲が現れ、虎が吠えれば風が生じる。
  同じ考えや心をもった者は、相手の言動に気持ちが通じ合い、互いに相応じ合うということ。

*禅河
  意味が不明だが、尼蓮禅河(ナイランジャナー河)であれば、釈迦が悟りを開く前に沐浴した河のこと。
  釈迦が苦行を中止し、スジャータに乳粥を施され、この河で沐浴し、畔の菩提樹の下で瞑想し成道したという伝説がある。
  あるいは、永源寺の下を流れる愛知川の事か。

*大正10年、大歇橋(だいけつきょう)の石垣完成。6代目上田源左衛門、尽力する。

後日、村の長老からメールが届いた。
上田研磨石 様
これは大正9年に大歇橋が完成した時6代目上田源左衛門氏が玉垣の造成に京都の商店(呉服が中心)に呼びかけ完成したものです。
それを記念して、書をどく鳳管長からいただき、衝立にしたものと思われます。
川は愛知川ではなく、堂の後川ではなかろうかと思います。
なぜなら蟠桃溪と呼ばれ上流には極楽と言われるところがあります。
  永源寺門前の長老 砥石        

「・・・ どうせ死ぬなら いま死にゃれ一度死んだら二度死なぬ白隠禅師
ホンマに死ぬかと思った!!!!
研磨石の天寿は、2050年12/08(木)と決まってるんやさかいに!!!
あぶない、あぶない。

2017H29 09 08(金) 守口市にて